ヤマダ社員ブログ
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白菜からキャベツへ
春になりましたね。最近、晩ごはんに白菜を煮たり・ゆでたり・鍋風にしたりして、ほぼ毎日過ごしていたんです。3月後半から白菜の様子、詰まり具合や価格が変わりだして季節がかわるなと感じました。今日は肌寒いですが一月もすれば暑くなってくのでしょうね。春からはキャベツにします。
というか白菜をずっと食べていたのはダイエットの為なんです。晩は出来るだけ炭水化物をとらなかったり。でも、腹は減るから白滝と白菜みたいな。一応、少しは結果でてスーツもワンサイズおちました。今は落ち着きましたが、一時期はダイエットハイみたいな感じで色々気になって大変でした。これは、糖質が高いから食べるのよそうとか、タンパク質をもっととらなきゃとか、色々気にしちゃって。あまりいらない知識も学べました。ちなみに情報教えますと、咳を一回すると2キロカロリー消費するみたいです。1分に2回咳すると1時間に240キロカロリー、4時間で1000キロカロリー近く消費するってことですね。
一番は規則正しく腹八分目なんでしょうね。コロナ過で大変ですが、予防と健康に気を付けて生活しましょうね。
営業部 風間
花粉症
すっかり春の日差しになってまいりました。
この季節になると毎年スギ花粉の飛散が気になっておられる方多いですね。
私が花粉症を意識したのは今から35年以上前になりますかね。当時18歳
だったと思います。当時は花粉症どころかスギの花粉が原因だとか全く世間
ではメジャーではなく、春になるとくしゃみが止まらなくなり鼻水は垂れ流し
で夜は鼻が詰まってまったく眠れない状態になり、病院に行っても原因が分か
らず風邪症状の治療薬しかもらえず、そんな状態が毎年5月の連休過ぎまで続
いてました。お蔭で四季の中で春が大嫌いになってしまいました。それが年々
お仲間が増えていって今ではすっかりポピュラーになりました。症状を緩和さ
せる薬や予防グッズなど色々出てますね。
私も今まで色々試しに使ってみたのですが、どれも気休め程度にしかならず、
鼻の手術(骨を削った。これは非常に痛かった)をしたり注射(重大な副作用
のおそれがある)を打ったりしましたが、やはりアレルギー症状の根本的な解決
にはなりませんでした。そこでやってみたのが「舌下免疫療法」でした。アレル
ゲンが配合された治療薬を舌の下にしばらく含んでから飲み込んで、毎日少しず
つ免疫をつくっていくという治療です。月に一回受診して3年間という長きにわ
たりましたが、今ではだいぶ楽になりました。花粉の少ないシーズンではほぼ症状
なし、大量に飛散するシーズンはさすがに少し症状がありますが、飲み薬で回避出
来るまでになりましたからね。お蔭さまで春が好きになりました。
毎年花粉症に悩まされているみなさんも一考してみてもいいかもしれませんよ。
2021.03.15 営業部 冨 田
川越歴史探訪
川越市役所に太田道灌の像が立っていることをご存じですか?
太田道灌は、江戸城を築城した武士として広く知られているところですが、実はこの太田道灌は江戸城築城と同じ年に、川越城本丸御殿も築城しているのです。
まずは、太田道灌を通じ江戸城と川越城とは兄弟城として築城されそれ故強い結びつきがあることを頭に入れてください。
この繋がりはその後に起こる歴史と密接に結びついていきます。
太田道灌は江戸城を築城する際に、現在の川越喜多院の隣にある仙波の山王社(現在の日枝神社)や川越三芳野天神(現在の三芳野神社)を江戸に分祀し、川越は呼ばれている『小江戸』などではなく、むしろ『江戸の母川越』が正しい表現とされる記録もあるのです。
その他にも
徳川家康、秀忠、家光と三代将軍にわたり、趣味の鷹狩りで川越に何度も訪れていた
川越の大火により喜多院が焼失した際には、将軍の命令で兄弟城である江戸城の一部が移設され、更に、川越復興に江戸の職人が携わった
藩主松平信綱は、江戸城の一部を移設する際に用いた舟運を整備し、それにより、江戸の文化・学問・芸能などが川越に伝搬することとなった
川越と神田明神にある山車は同じ職人が作っており、川越祭りは当時の江戸の祭囃子や舞、山車など、江戸の文化をそのまま受け継いだ祭りでもある(山車に太田道灌の飾りがついた山車も・・・・)
戦災により江戸城や神田明神にあった山車が焼失したため、現在、川越は江戸の名残を残す貴重な存在となったのです。