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川越市山田地区の歴史探訪

2020-11-02
半世紀前の川越は見渡す限りの田畑
川越市山田地区の歴史探訪
こんにちは GM 高野です。
半世紀前の川越は見渡す限りの田畑
弊社の先代社長は阿部、そして当代は菅間、会社はヤマダ産業株式会社~ヤマダは何処から・・・・
そうです、ヤマダ産業のヤマダは川越市山田地区に所在することから命名されたと聞き知っております。
半世紀前、弊社の所在地、川越市山田地区は、夏にはカエルの声があちらこちらから聞こえ、
時にはホタルの光が糸を引く光景を見ることもできたと聞きます
当時の面影を残しながらも、時代の変化にともなって、市街化されていき、今では閑静な住宅街となりました。
そんな山田地区に今も残る歴史の一端をご紹介します。
山田八幡神社
往昔旧山田庄府川郷等十ヶ村(志垂・宿粒・石田・石田本郷・谷中・網代・菅間・向小久保・高畑・角泉)の総鎮守でしたが、江戸中期以降、各地で社殿が創立されたため、志垂・府川二村の鎮守となりました。
この山田八幡神社には、本殿手前の祠の脇に手水鉢(ちょうずはち)が置かれています。
同、手水鉢(ちょうずはち)は、明治28年(1895年)に奉納された煉瓦造りの手水鉢で、明治廿八年十二月 府川煉化工青木里吉と記されており、文献などから推測するに、府川(当時は山田村府川)には、煉瓦工場があった可能性が高いと推測されているとの事です。
どこにあったのだろう?
皆さんも自分の住む・勤務する地の歴史の旅をいたしませんか?
2020.11.02  GM 高野
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