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川越歴史探訪
川越市役所に太田道灌の像が立っていることをご存じですか?
太田道灌は、江戸城を築城した武士として広く知られているところですが、実はこの太田道灌は江戸城築城と同じ年に、川越城本丸御殿も築城しているのです。
まずは、太田道灌を通じ江戸城と川越城とは兄弟城として築城されそれ故強い結びつきがあることを頭に入れてください。
この繋がりはその後に起こる歴史と密接に結びついていきます。
太田道灌は江戸城を築城する際に、現在の川越喜多院の隣にある仙波の山王社(現在の日枝神社)や川越三芳野天神(現在の三芳野神社)を江戸に分祀し、川越は呼ばれている『小江戸』などではなく、むしろ『江戸の母川越』が正しい表現とされる記録もあるのです。
その他にも
徳川家康、秀忠、家光と三代将軍にわたり、趣味の鷹狩りで川越に何度も訪れていた
川越の大火により喜多院が焼失した際には、将軍の命令で兄弟城である江戸城の一部が移設され、更に、川越復興に江戸の職人が携わった
藩主松平信綱は、江戸城の一部を移設する際に用いた舟運を整備し、それにより、江戸の文化・学問・芸能などが川越に伝搬することとなった
川越と神田明神にある山車は同じ職人が作っており、川越祭りは当時の江戸の祭囃子や舞、山車など、江戸の文化をそのまま受け継いだ祭りでもある(山車に太田道灌の飾りがついた山車も・・・・)
戦災により江戸城や神田明神にあった山車が焼失したため、現在、川越は江戸の名残を残す貴重な存在となったのです。